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英語は、オトナになってからがおもしろい

宇宙人母、ときどき翻訳家のKAYOが、英会話とはひとあじちがう英語の楽しみ方をお伝えします。

わたしが翻訳家になったわけ

今日は、わたしのお仕事

翻訳家について書いてみます。


わたしが訳しているのは、おもに

化学分野の特許。

 

特許というのは、

いろいろな発明について書かれた文章で、

日本語の特許を英語に翻訳しています。

 

翻訳会社からの依頼を受けて、

自宅でパソコンを使って翻訳します。

 


この仕事を始めたのは平成9年。

すでに20年めですね。

 


途中、出産や育児、

子どもの病気や自分の体調不良などで

何度かやめようとしたときもあったのですが

なぜか、離れられない関係・・・

 

残れない、離れられない

 

わたしはかなり飽きっぽい性格なのですが、

そんなわたしが

これだけ続けられているということは

きっとご縁のある仕事なのでしょう。

 


でも、最初から

翻訳家になりたかったわけではありません。


高校生の頃は、

通訳に憧れていました。

 

それで、

外国語大学をめざしていたのですが、

高2のとき、

とってもおもしろい化学の先生に出会います。


軽妙な関西弁で

化学を語るその先生に、

今思えば、

わたしはホレていたのでしょう。

 

「化学っておもしろーい!」

と、一気に理系に志望先を変更。

 

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でも、物理が大の苦手だったので、

「理系の大学はムリかなぁ」

と、あきらめかけたら、担任の先生に、

農学部はどう?

 生物と化学で受験できるよ」

と、アドバイスされて、

農学部をねらうことにしたのです。

(そのころ、バイオテクノロジーとか

 はやってましたしね)


その頃のわたしは、

猛烈に親に反抗していて、

「家を出たい!」

という一心で、

みごと京都大学農学部に合格。


そして大学卒業後は

東京にある

製紙会社の研究所に就職しました。


しかし、

研究者として働き出したとたん、

「わたし、理系じゃなかった!」

ということに気づきます


「わたし、

 なんて役立たずなんだろう」

と、悶々とした日々をすごしながら、

 

「やっぱり英語に関わる仕事をしたいなぁ」と、

英語への思いがよみがえってきました。

 


そこで、

通信教育で翻訳の勉強を始めたのです。

 
その後、

結婚と同時に研究所を退職し、

今住んでいる

南足柄市(金太郎のふるさとです)に引っ越して

自宅で翻訳の仕事を始めました。

 


翻訳家になるには、多くの場合、

翻訳会社の登録試験に合格する必要があります。

 

でも、この登録試験に合格したからといって、

未経験の翻訳家の場合は

すぐに仕事がもらえるわけではありません。

 


地道なスキルアップや、

自己アピールが必要です。

 


でも、わたしは、幸いなことに、

トライアルに合格後、

すぐに大きな仕事がもらえました。

 

なぜならそのころ、理系の翻訳家は、

文系の翻訳家に比べてとても少なかったから。


大学や会社時代に得た

理系の知識が役だったのです。

 

あんなに悶々とすごしていた日々は、

決してムダではなかった。

 

それに気づいた時、

自分の過去に対して

感謝の気持ちがわいてきました。

 

 

どこでどう物事がつながっていくかなんて、

後にならないとわかりません。

 

「自分のやりたいことは

 これじゃないのに・・・」

って、文句を言いつづけるのではなく、

 

今、目の前のことに

ベストをつくすことで、

また新たな扉が開いていくのでしょう。

 

 

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